1946
昭和21年5月
徳島県那賀郡下大野で呉服商創業

故・埴渕一会長は、父、朝夫氏の始めた呉服商を受け継ぎ 当時はまだ、県南に2台しかなかったオート三輪を購入して、 故・年秋副会長とともに県南部から、室戸まで足を伸ばし、呉服の行商を始めました。オート三輪の機動力を生かし、訪問先では軽快な口調で売上をのばし、郡部での商いは順調で、持ち出した商品が全て売れることもありました。
▲終戦後、焼け野原になった徳島市内
1951
昭和26年
有限会社京屋呉服店設立 資本金50万円

京屋籠屋町本店開店(徳島市籠屋町)
1954
昭和29年
有限会社京屋呉服店本店 徳島市籠屋町1丁目5に移転登記
1958
昭和33年8月
株式会社徳島主婦の店設立 資本金550万円

中央店開店(徳島市中央通)
株式会社徳島主婦の店を設立し、徳島市中央通に「中央店」を開店させました。従業員は20名、このお店が、スーパーマーケット キョーエイの第一歩です。絶えず店の改善、販売方法の向上、効率化に取り組み、いまでこそ当たり前のように売っている卵のパック販売もキョーエイが始めたことです。それが、徐々に評判を呼び、今日のように広く一般へと普及していきました。
1960
昭和35年
末広店開店(徳島市末広町)

徳島主婦の店共栄不動産株式会社設立
1961
昭和36年
株式会社徳島主婦の店 資本金1100万円に増資
1962
昭和37年
衣料配送センター竣工(徳島市秋田町)
1963
昭和38年
株式会社徳島主婦の店 資本金1650万円に増資
1964
昭和39年
福島店開店(徳島市福島町)

京屋マンション竣工(鉄筋6階建20戸)
昭和29年には徳島市かごや町にて有限会社京屋呉服店を設立し、お客様にできるだけ安く商品を提供したいと「正札販売」を貫き、信頼を得て、昭和39年に京屋籠屋町本店を6階建てのビルで、新装開店しました。
福島店
▲福島店
1965
昭和40年
渭北店開店(徳島市北前川町)
渭北店
▲渭北店
1966
昭和41年
有限会社京屋呉服店 資本金300万円に増資

株式会社徳島主婦の店本部事務所竣工(徳島市栄町)

株式会社徳島主婦の店末広倉庫竣工(徳島市末広)
1967
昭和42年
京屋マンション竣工(鉄筋6階建20戸)
またこのころ、徳島市伊月町に 鉄筋コンクリート6階建の京屋マンションを建て、当初は役員会議室、社員の社宅でした。
のちに、このビルがキョーエイの本社ビルとして使用されることになりました。

日本で初めて衣料品単品データの蓄積開始
京屋マンション
▲京屋マンション(鉄筋6階建20戸)
1968
昭和43年
株式会社徳島主婦の店 資本金2200万円に増資

蔵本店開店(徳島市蔵本町)
蔵本店
▲蔵本店
1969
昭和44年
株式会社サカエヤ買収 資本金245万円
1970
昭和45年
生鮮食品センター竣工(徳島市福島町)
1971
昭和46年
ファッションセンター京屋開店 5階建 (徳島市東新町)
「徳島のような地方でも、こんなファッションセンターが建つのか」と、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊社長を驚かせた5階建てのビルを昭和46年東新町に設立しました。

有限会社京屋呉服店を株式会社京屋呉服店に 組織変更

株式会社京屋呉服店を株式会社京屋に商号変更
ファッションセンター京屋
▲ファッションセンター京屋
1972
昭和47年
京屋配送センター竣工(徳島市中昭和町)

株式会社京 資本金4800万円に増資
1973
昭和48年
株式会社京屋リビング設立 資本金100万円

京屋配送センターをボウリング場跡に移転(建坪面積694坪)

昭和町は生鮮食品配送センターとなる
商品の多様化、配送の効率化のために直営の生鮮センター、配送センターを設置し、各店舗への商品の配送をおこないました。

佐古店開店(徳島市佐古三番町)
京屋配送センター
▲京屋配送センター
1974
昭和49年
キョーエイ会 発足
アメリカでは、小売業もコンピュータ化しつつあり、NECの高松支店で行われたコンピュータの展示会へ行った会長はその場で導入を決め、栄町のキョーエイ本部社長室に設置しました。それから試行錯誤の末、POSの導入に踏み切り、ついには単品データの蓄積を行えるまでになりました。 さらには売上データから仕入データ、発注のデータまで、効率的に 機械処理をするようになりました。
キョーエイが巨額を投入してコンピュータを購入したことは、全国的にも注目されました。

チラシ情報

店舗検索